「主と同じ姿に」 05.08.28 大嶋名誉牧師
コリントの信徒への手紙U3章7-18節
今日は、この前のお話の続きとして『主と同じ姿に』と言う題で
聖霊のお働きについてお話しをします。
コリントの教会の中には困った多くの分派が出来ていました。
その一つは『モーセの十戒は絶対に守るべきで、十字架の赦しを
宣伝するパウロは嘘吐きだ』と言う人々です。これは多くの人々を
引き付けました。何しろ「利己主義を止めよ、肉欲から離れ、神の
戒めを守れ。」と言うのですから、同調する信徒も多く居たようです。
それに反論しているのが今日のテキストです。
十戒は、これを守る者には祝福を与え、これを破る者には呪いが
与えられると約束しています。十戒は、私達が死ぬべき罪人であると
宣告していることを発見します。しかし、モーセの顔に覆いが掛けられて
いたように、十戒にはもう一つの本当の役割が隠されていたのです。
それはなんでしょう?『主の方に向き直れば』、覆いは取り去られて、
律法は私達をキリストに導く役目を持っていたのでした。十戒に人を
罪に定める務めがあるからこそ、『主の方に向き直れば』神様の愛の
深さが分かるのです。
「18節に鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、
主と同じ姿に造りかえられていきます、これは主の霊の働きによること
です。」とあります。ここで誤解してはなりません、今この時に『主と同じ
姿に造りかえられる』のではないのです。 「これは主の霊の働きに
よることです」
私達は毎月の信仰告白で「この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを
潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまう」と告白します。
主の栄光に近づけば近づくほど私達は自分の罪の深さ、重さを感じ
ないでは居られません。それで良いのです。自分では少しも進歩した
とは思えなくても、聖霊がお働きになって「主と同じ姿に造りかえ」て
いてくださるのです。
それは蛹(さなぎ)が冬の寒さの中で何の変化も無いように見えて
いても、実は美しい蝶になるべく変化しているのと同じです。
今、私達は自分では気が付いていませんが、確実に聖霊なる
神様によって「主と同じ姿に造りかえられ」つつあるのです。
なんと素晴しい福音ではありませんか!
イエス様が再び御出でになる!
その時は「主と同じ姿」となって御迎えする事が出来るのです。
その時を思うのは何と素晴しい事ではありませんか?
大きな希望をもって賛美を捧げましょう。